いじめの定義(2)
文部科学省がいじめの定義を変えるらしい。統計の都合のようですが、数字の調査をいていいことがあるのでしょうか。
「いじめ」の定義は根本的に考え直した方がいい。定義というより、この言葉自体を使わないことにした方がいいのではないでしょうか。
いじめという言葉は昔からあったようですが、学校用語として今のような使い方をされたのはそれほど古くはなさそうです。被害者救済にそれなりの意味はあったでしょうが、この言葉を使い続けることによって、むしろ「いじめ」の存在を固定化しているようです。
「いじめ」は加害者が悪いのだ、といくら繰り返しても、この言葉の存在自体、被害者中心に考えている。被害者がいるからいじめが存在しているのだ、という主張を含んでいる。いくら悪くないといっても、被害者の存在が原因かのようです。
はたして問題は被害者でしょうか。加害者の存在こそが問題ではないでしょうか。
では加害者のことをなんというか、というと、なかなか適切な言葉がない。これを考えて、「いじめ」のかわりに使えば、かなり状況は変わるでしょう。
中心となる加害者がいるから問題が起こるのです。粗暴な行動をとり、攻撃的な言動を繰り返す子どもがいます。いじめの問題もありますが、学校が荒れたとか、学級崩壊とかも、こういうと学校や学級全体が悪いみたいですが、実は問題は少数の攻撃的な子どもです。非行などを起こすのも同じ子たちです。単発的な非行もありますが、困るのは常習的に非行行為を続ける子どもです。人に迷惑をかけても平気だから、犯罪行為も起こすし、学校の規則なども守れません。指導されても、警察に補導されても懲りません。
大人もそうですが、多くの子どもたちは争いを好みません。そのため、少数の攻撃的な子どもたちと争わないことを選び、それが共犯的な行動になってしまうのです。これが攻撃的な子どもがターゲットとした被害者に多くの子どもが一斉に加害者となる「いじめ」です。中心的な加害者さえ押さえられれば他はたいしたことはありません。多数の加害者という構図を作ることによって、むしろ被害者を追い込んでしまいます。
「いじめ」の追放は、まず、この言葉の追放を。 かわりに加害者を示す言葉、何かいいのはありませんかね。「いじめ」に負けないインパクトが欲しい。
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コメント
いじめは人間だけでなく、ほかの動物にもある。序列付けのための行為である。いじめる側は、序列がひっくり返ることを恐れて、ずっといじめ続ける。いじめの目的が「序列付け」であるとすれば、「いじめ」がなくなることはない。未来永劫にわたり、人間は「いじめ」と付き合わなければならない。
でも、「いじめ」をなくすことは出来ないけど、今進行している「いじめ」をとめることは簡単だと思う。その行為が「いじめ」であることを認識しさえすれば、そのような行為をやめるのは容易ではないのか。 「いじめ」から目をそらし、あたかも「いじめ」がないかのように振舞っているうちは、「いじめ」はとまらない。
投稿: M・桃原 | 2007年1月29日 (月) 23時27分
コメントありがとうございます。
「いじめ」という言葉は定義があいまいなのだと思います。それがいろいろ問題をややこしくしている。動物の行為を「いじめ」に含めるというのはいかがなものでしょうか。
人の場合、加害者になるような人間は、周囲の評価は低い、つまり序列が低い。それを悪あがきをして暴力で上位に立とうとするからおかしなことになる。
投稿: ken | 2007年1月30日 (火) 20時17分